【チームCSCの真実】シュレック兄弟とサストレとの確執【2008ツール・ド・フランス】
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2008年ツール・ド・フランスを制したのは、忍者(?)ことカルロス・サストレ(Carlos Sastre)。当時の所属チームはTeam CSC。
そしてチームメイトには、全盛期を迎えていくファビアン・カンチェラーラ、天才クライマーのアンディ・シュレック&フランク・シュレックのシュレック兄弟がいた。他にも、オグレディ、フォイクトなど。なお、このツールの総合2位はカデル・エヴァンスである。
しかし、当時彼らとチームメイトだったクルトアスル・アルヴェセン(Kurt-Asle Arvesen)が、シュレック兄弟とサストレとの確執を暴露した。
情報源:CSC team-mate reveals Schleck brothers’ feud with Carlos Sastre at 2008 Tour de France
(1) サストレは孤独なツバメだった。チーム内の雰囲気は最悪
“Un maillot, una portada” Maillot amarillo de vencedor de @LeTour 2008 de @Carlos_Sastre con su @Ciclismoafondo_
— David Martin (@David5Turbo) April 2, 2020
🚴♂️Carlos Sastre Candil
🥇Tour de Francia 🇫🇷 2008
🚙 CSC, Bjarne Riis 📣
🔜 Brest
🔚Paris
📍3558 km@ pic.twitter.com/Tea1cJlef9
2008年ツールではチームCSCは、カルロス・サストレを含む9人の選手をツールのメンバーとして選んだ。そのうち8人はツールの準備としてツール・ド・スイスへ、そして残りの1人、つまりサストレだけがドーフィネへ出場していた。もうこの時点で何かがおかしい。
“Sastre was a lonely swallow. We were nine riders and it was eight to one.”
訳「サストレは孤独なツバメだった。うちのツール用のチームは確かに9人やったけど、内実は8人と1人という感じやった」
アルヴェセンはこのように語っている。サストレは「ぼっち」だったと。
なぜそのような状態になっていたのか?それはそもそも2008年のシーズン当初、バスク一周から、シュレック兄弟とサストレとの間に確執があったからだと言う。
というのも、バスク一周にサストレだけが自己所有のスポーツカーを持ってきていたから。それに対してシュレック兄弟が「いや、お前だけそれはおかしいやろ」と口論へ。結局それを端緒にして、彼らの亀裂は埋まらなかったとのこと。
“We succeeded for the outside world, but there was a very bad atmosphere in the team,”
訳「表向きは成功してるチームのように見えてたやろうけど、実際のところチーム内の空気は最悪やったわ」
“Sastre wanted to take his own chance for the first time in 2008, but suddenly those annoying Schlecks came up. It was a real battle for the leadership.”
訳「サストレは同年のツールで人生初のツール優勝をしたがってたけど、突然ブチギレたアンディ・シュレックが登場したわけよ。誰がツールのエースかでガチの内紛が勃発してた」
(2) 2008ツールの第17ステージとサストレの独断の加速
Hoy cumple 45 años @Carlos_Sastre, uno de los grandes ciclistas de nuestra historia, ganador del Tour de Francia 2008 y otras cinco veces más podio en Grandes Vueltas. ¡Felicidades! pic.twitter.com/z76T3yhLXH
— Ciclismo a Fondo (@Ciclismoafondo_) April 22, 2020
2008年のツールもいろいろあった。そもそも同年にはASOとUCIとの対立が先鋭化。今で言うところのワールドツアーの構成などに影響があった。また、ツールではドーピング事件も発生した。
そんなツールのクイーンステージは第17ステージ。その日の時点でマイヨ・ジョーヌを着ていたのはサストレではなく、フランク・シュレック。
しかし、個人TTの弱さに定評のあるシュレック兄弟。2位につけていたカデル・エヴァンスのTTの強さを考えると、第20ステージのTTで逆転される可能性が高かった。
そんな状況でのクイーンステージ。ガリビエ峠とアルプ・デュエズの2大山岳が登場したステージ。
Y este miércoles…
— Teledeporte (@teledeporte) April 28, 2020
Le toca a @Carlos_Sastre
Alpe d’Huez’08#QuédateEnCasaConTDP
¿Nos quedamos? pic.twitter.com/oITU93yQG4
最後のアルプ・デュエズの麓から一気にサストレが集団から加速。独走を始める。
この動きは実はチームの指示でもなく、そして誰もがその真意をわかっていなかった。ライバルたちもチームCSCの作戦だと思っていてサストレの動きをスルー。しかし、これはサストレが独断でしかけた動きだった。
当然誰もこの動きにはついていかない。もちろんシュレック兄弟も。
その後ようやく集団がサストレなどの先行グループを追うようになり、フランク・シュレックもその追走集団からカウンターアタックをしかけてサストレを追うが、捕まえられなかった。結果、サストレは、マイヨ・ジョーヌのフランクから1分半ものタイム差を稼いだ。
そして第20ステージの個人TTもなんとか上手くまとめて、サストレは2008ツール・ド・フランスの総合優勝の栄光を手にした。
なおこの年でサストレはチームを離れ、チームバイクもCerveloから翌年Specializedへ変わった。