【!?】ログリッチのプロ1年目の年俸は5万円
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今年からレッドブル・ボーラ・ハンスグローエで走るプリモシュ・ログリッチ(Primož Roglič)といえば、もとスキージャンパーの選手だったことで有名だ。今でもレースで勝つと表彰台でかわいい息子さんといっしょにテレマーク・ポーズを決める。
そんな彼がスキージャンパーとして活躍中に怪我をし、その回復途中で自分に自転車の才能があるのではと気づき、そこからロードレース界に入ることとなった。そんなログリッチがロードレースを始めた頃のことを語っている。
情報源:“My first salary was 300 euros” – Primoz Roglic remembers his first years as a pro cyclist
ログリッチは2013年に母国スロベニアのコンチネンタルチームAdria Mobilと契約しプロデビュー(このブログではProTeamまたはワールドチームとの契約をプロデビューと定義しているが、それとは異なる)。
その後2016年にワールドチームだった当時のロットNL・ユンボに移籍(このブログの定義ではここでプロデビュー)。そこからの活躍はみんなの知るところだ。
ログリッチは2013年のその頃を振り返って、
“I didn’t want to get paid there. I didn’t even dream of racing then and I didn’t know anyone in cycling. I only watched races on TV and I saw how professional cycling was. It was something crazy, but I thought it was something I could do,”
訳「お金が欲しいからロードレースを始めたわけでもなかったし、ましてやレースなんて夢にも思ってなかった。自転車界には知り合いなんてゼロ。ただTVでレースを見て、プロロードレースがどんなのかを知った。今から思えばクレイジーだったね。でも自分にできるのはそれぐらいのことだと思ってたわけ」
そしてその2013年当時のAdria Mobilとの契約で最初の年俸は300ユーロ(この記事の時点で約5万円)だったと明かす。でもロードレース界のことを何も知らなかった彼は、そういうもんだと思ってなんのためらいもなくサインしたとのこと。
2016年にジロ・デ・イタリアでグランツールデビューを飾るが、そのジロで第1ステージの個人TTで2位に入り一躍注目を集め、さらに第9ステージの個人TTでステージ優勝し、TTスペシャリストとして確かな実力を示す。翌年の2017年にはツール・ド・フランスデビュー。その第17ステージではステージ優勝を挙げ、なおかつ山岳賞2位。TTだけでなく山も強いことを示し、グランツールエースとしての未来を確かなものとする。そして2018年のツール・ド・フランスでは総合4位。表彰台まであと一歩に迫った。
その後はブエルタで2019~2021まで三連覇。昨年も総合優勝してブエルタを4度制覇。ジロ・デ・イタリアも2023年に個人TTの大逆転でゲラント・トーマスをくだして総合優勝。
300ユーロから始まった年俸は今では450万ユーロとも言われ、実に1万5000倍になった。