いかにしてプリモシュ・ログリッチはスキージャンパーからロードレースのプロ選手になったか?
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情報源:How Primož Roglič made the leap from ski jumper to grand tour winner
Jumbo-Vismaのエース、プリモシュ・ログリッチといえば元スキージャンプの選手。五輪での金メダルすらも期待されていたほどのジャンパーだった。そんなログリッチは一体どうしてロードレースの選手となったのか?そんな彼の不思議な人生をまとめた記事のご紹介。ログリッチの栄光、挫折、そして転機とは?
天才スキージャンパーの挫折
ベルギーの子供たちが憧れるのはベルギーの英雄エディ・メルクスなどの自転車選手。しかし、自転車が盛んとは決していえないスロベニアの子供たちが憧れるのは、スキージャンパー。ログリッチもそんな子供たちと同じで、スキージャンパーを目指すのは当たり前のことだった。
そして彼にはスキージャンパーとしての才能があった。瞬く間に頭角を現し、五輪で金メダルを嘱望されるほどの天才ジャンパーへと育つ。2007年にはジュニアの世界選手権で金メダルを獲得した。だがその数週間後のPlanicaでの試合で悲劇が起こる。そう、ジャンプに失敗し、地面に叩きつけられた。下の動画を見てほしい。そのときの様子が映っている。
ログリッチはこの時のジャンプについて後年次のように振り返る。
“At that time, I thought I could do everything, jump more than 200m–you learn that you need the respect.”
訳「あの当時は、ワシはなんでもできると思っていて傲慢やった。200m以上のジャンプもいけると思ってたんや。でも大事なことは、ジャンプに対するリスペクト(謙虚さ)や。当時、自分の実力を過信していた自分にはそんなリスペクト(謙虚さ)がなかった」
幸いにも大きな怪我はなくジャンプに復帰できた。しかし、五輪代表には選ばれず人生の目標を失った。肉体は回復したが、心には大きな穴が空いた。
そしてロードバイクへ。新しい出会い。
転機となったのは、ジャンプ競技を諦め、暇つぶしまたはちょっとした慰みとして始めたデュアルアスロンとトライアスロン。そこで彼はロードバイクの面白さに憑りつかれた。
自転車の自由さ、スピード感、肉体をいじめることの快感・・・スキージャンプ時代のようなおもしろさをロードバイクに発見したのだった。そしてすぐにプロ選手になりたいと思うようになった。人生の新しい目標が見つかった瞬間だった。本人は述懐する、「転機が訪れたと感じた」。
そして21歳のときに、スロベニアの代表チームへ接触を図る。そこで出会ったのが、現在ワールドツアーチームUAE Emiratesで監督を務めるHauptman。
当時はスロベニアの五輪代表コーチをしていた人物。Hauptmanはログリッチとの最初の出会いを次のように思い出す。
“He called me one day—I had no idea who he was—and he said, ‘hello, I am Primož and I want to become a professional bike racer,’”
訳「ログリッチはある日ワシに連絡してきた。でもその時はおまえ誰やねんと思ったわ。そしてログリッチは言うわけよ、『プリモシュ・ログリッチて言うんやけど、プロのロードレース選手になりたいんよ。どうすればいい?』って。」
“I said, how old are you, 21? It’s not so easy, cycling, especially starting from zero. He told me he used to be a sportsman, and I thought, OK, if he was a runner or a cross-country skier, but when he said ski jumper, I just laughed. I told him, OK, get a bike and call me back. I never thought I would hear from him again.”
訳「で、ワシは聞いたわけ、『お前何歳?21歳?いやーそれは厳しいわ。だって全く未経験のゼロからのスタートやろ?』って。でも、ログリッチはもともとスポーツ選手だったと主張してきたから、ワシは陸上かスキーのクロスカントリーの選手だったならいけるなと思ったんやけど、そしたらスキージャンプをやってたって言うわけよ。笑ってしまったわ。でもまとりあえず、『OK、ロードバイクを買ってそれからまた連絡してくれ』と言ったんよ。そんときは、『もう二度と連絡がくることはないやろな』と思ったわ。」
そんなHauptmanの予想は幸運にも裏切られた。ログリッチはすぐに自身のオートバイを売り、ロードバイクを購入。そして再びHauptmanへ連絡してきた。そして、Hauptmanはログリッチをチームへ参加させることになる。
最初は落車しまくり!?
こうして晴れて優秀なコーチ率いる自転車チームに入ってトレーニングができるようになったものの、Hauptmanの記憶に残っているのは、とにかくログリッチが落車しまくっていたこと。
みんなも知ってるとおり、ロードレースでは大集団でのポジション争いが重要。それゆえに苛烈なぶつかり合い、騙し合いが発生する。しかし、これまでずっと1人で走ってきたログリッチには集団で走る経験、技術、知恵がなかった。だから毎回落車していたもよう。「他人のホイールにつく」ということも難しい状態だった。
しかし、それでもなおログリッチの肉体的才能はそのころから驚異的だったと振り返る。
ある日、チーム全員でレース強度で5時間走り、最後にヒルクライムをして終わりという1日があった。その時、ログリッチより先にゴールできたのはたった一人だけだった。何を隠そう、その一人とは現在チームUAEのあのヤン・ポランツ( Jan Polanc)だった。
さて、ここから先のログッチについてはWikipediaなどに書かれている通り。まずはスロベニアのコンチネンタルチームAdria Mobilに所属し、そしてあれよあれよと言う間にワールドツアーデビュー。そして快進撃。去年のジロでの目指しい活躍、そしてブエルタ総合優勝とつながる。
最後に、スキージャンパーとしての過去がどのように役立っているのかという点について、ログリッチはこう述べる。
“We did a lot of work with core strength, balance, flexibility and acrobatics. All that helps me on the bike.”
訳「スキージャンパー時代には体幹、バランス感覚、柔軟性、そして体操技術を鍛えまくった。それら全てが今訳に立っているわ」