レビュー
Rapha




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ワウトが語る、なぜヴィズマは2025ドワルス・ドール・フラーンデレンで圧倒的有利な状況から敗北したのか?
昨夜の2025ドワルス・ドール・フラーンデレンは、ヴィズマが数的有利な必勝態勢を築きながらも全員敗北するという記録にも記憶にも残るようなヴィズマにとって悪夢の1日となった。
そのレース後にワウト・ファン・アールトは「自分は利己的だった」と話す。一体どういうことか?
情報源:Wout van Aert Takes Blame for Visma Tactical Disaster: ‘I Was Selfish’
最後のスプリントの局面でヴィズマ3名 vs EF1名という圧倒的有利な状況において、なぜヴィズマが、そしてエースのワウト・ファン・アールトは負けたのか、その直接の原因はワウトの脚がスプリントのときに痙攣してしまったことだ。
だが、ワウトはそれ以外に彼自身の考え方に問題があったことをレース後にコメントしている。それは、「自分はこのレースで絶対に勝ちたい。だからチームメイトはアシストに徹してくれ」という考えだった。
ワウトはレース後にどうしてもこのレースに勝ちたかったと話し、同時に、自分が勝つためにチームメイトの2人(マッテオ・ジョーゲンソンとティシュ・ベノート)がスプリントをしたりアタックしたりするのは嫌だったと語る。
つまりワウトはチームとしての勝利よりも、彼個人としての勝利しか考えていなかったことになる。そうした自分の思考を彼は「自分はわがままだった(身勝手だった)」とレース後に表現しているのだ。
たしかに個人的に勝利を求めるのはプロとして、そして人間の本能として正しい。そうした強欲さがなければプロとして、しかもエースとしてやっていけないだろう。エースは傲慢でなければならない。
しかしどの分野でもそうだが、ものごとの秘訣・奥義というものは両極にある本来両立しえない矛盾した概念をいかに極限まで両立させるか、という点にある。それができるのが達人であり職人である。
そのため今回もワウトは、個人としての勝利とチームとしての勝利という2つの観点を頭に置き、柔軟にそれらを切り替えるべきだった。バランス良く思考すべきだった。そうした異なる視点からの考えを失念し、自分の勝利にこだわってしまったがゆえにどちらの観点での勝利も得られない結果となったというわけだ。
なおワウトは今回の敗北にかなりショックを受けていて、深く猛省しているもよう。
なんだろう。ワウトの中で、レース中にどこか違和感を感じていたのかもですね。
しかし去年の苦い記憶を払拭したくて、自分が最終スプリントを担うことを譲らなかった。それを自らのエゴだったと反省していると。
ポガチャルやマチューは完全に人外の存在だけど、ワウトはどこか人間くさいんですよね。そこも彼の魅力ですが、今年はもう少し報われてほしいとも思いますw。
なるほどたしかに、ポガチャルやマチューと比べるとワウトからは人間的というか繊細さというか、苦労人っぽさを感じるというか・・・そんなのがあるブヒね
今回勝てなかったけど怪我からの復帰という点では素晴らしい走りだったので、焦らずに、そして怪我しないで走れればそのうち優勝できるだろうブヒね。