ミゲル・アンヘル・ロペスの不満。現代のロードレースに物申す
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情報源:‘I miss the magic of cycling 12 years ago,’ says Miguel Ángel López
コロンビア期待の若手選手にして、アスタナのエースの1人、ミゲル・アンヘル・ロペス(Miguel Ángel López。以下ロペス)。今年は、いよいよツール・ド・フランスにデビューを果たす予定になっている。チームがそう決断した。ちなみに、もう一人のエースであるヤコブ・フルサング(Jakob Fuglsang)は今年はジロ・デ・イタリアを狙う予定となっている。
そんなロペスは、ツールでの戦い方や現代のロード―レースについて、「最近のロードレースは、かつての輝きがなくなって寂しかぎりや」という考え。一体どういうことか?
情報源記事でロペスは次のように述べる。
“Whenever I can I attack and try not to regret it later,”
訳「ワシは攻撃できる時に攻撃したいし、後で後悔のないよう走りたいんや。」
“I prefer to try and fail rather than later regretting not trying. When I start I look at what my legs are saying, not the number on my computer.
訳「攻撃をしかけて失敗するほうが、それをしないで後悔するよりマシや。攻撃するとき注意を払うのは脚の調子であって、サイコンの数字じゃないんや」
“You can’t sing and whistle at the same time. When you focus on the general classification it is rare to win a stage because of the current state of cycling with so much technology. People focus on their Garmin or their SRM and look down a lot.
訳「歌を歌うのと笛を吹くのは同時には無理やろ。同様に、グランツールで総合成績を狙うのと、各ステージで優勝を狙うのとを両立させるのはかなり難しい。なぜなら、現代のロードレースはめっちゃ多くのテクノロジーに支えられてるからや。みんなGarminのサイコンやSRMのパワーメーターの数字ばかり見とる
“I miss brave cyclists and the magic of cycling 10 or 12 years ago,”
訳「かつての勇敢にも果敢に攻撃を続けた選手たちや、10数年前のロードレースが持ってた魔法の輝きを思うと寂しくなるわ」
コロンビアも意味ラテン系と言ってもええやろか。やはり「ノリ」とか「感性・感情」を大切にする文化背景があるのかもしれないね。まぁ日本豚であるワシの勝手なイメージやけど。ロペスもそんなラテン人の血を引いてるのか。
スポーツ選手としてはやはり自分の肉体を会話しながら、肉体の限界を超えることに喜びを見出すのが好きな人種が多いやろう。でも、現代のテクノロジーや統計学などの発達により、トレーナーも選手もデータを重視するようになってる。それはある意味、スポーツから身体性ひいては人間性を減少させるとも言える。プロならなおさらか。
技術の発展と人間性の確保は矛盾するものなのか、それとも両立できるものなのか?難しいね。どの分野でもそうかな。心理学でも人間の心理が研究対象なのに、科学的な客観化という要請のせいで、まるで臨床での数字が研究対象になっているみたいな?
いや知らんけど。